「この果樹園には、僕の人生を変えた樹だけでなく、色々な品種の樹が生きている。まるで小さな村のようにね。いつかこの全ての果実を集めてひとつのシードルを造りたいんだ。それが生きているってことだろ?僕たち人間も果実も多様性こそが大切だと思うんだ。」
冬は雪深く、夏には牧草の緑が映えるスイスの山間のとある村。
高層ビル群ばかりで見上げた空が狭い都市や、寂れた広告看板をはじめとする中途半端な人工物ばかりの田舎が多く存在する日本のような国から訪れると、自然環境が豊かでエネルギーに満ちた心地よい空間のように感じる。
しかしながらその実は、生物多様性に乏しくモノカルチャーの自然の集合体であったりする。
「ここらへんはどこにいっても牧場だらけ、野菜を栽培している人なんてほとんどいない。牛だってみんな同じ、1−2種類の品種しか飼育されていないよ。」
植物・生物学者として安定したキャリアを築いていたジャック ペリタズ。彼が、途方も無いリスクを取り、膨大な労力を費やしてシードル造りに人生を捧げた理由は、生物多様性の喪失に危機感を抱いていたからに他ならない。
「研究者として警鐘を鳴らすことはできる。でも、それが果たして最善のアプローチなのかわからなかった。」
そんな彼の人生を変えたのはとある村の外れに植わっていた一本のリンゴの樹だった。
彼がある村を散策していた時、一本のリンゴの樹が目にとまった。それは農薬や化学肥料を与えられることなく生きる古い品種のリンゴの樹。しかしその実は、甘く品種改良された現代のリンゴに馴染んだ人々にはほとんど利用されることなく、忘れ去られたも同然の状態だった。
その樹から完熟したリンゴが一つジャックのもとに落ちてくる。複雑に品種改良される以前の、より原種に近い古い品種のリンゴ。そのリンゴを手にしたジャックは、この忘れ去られつつあるリンゴを意味のある形で生かす、具体的な行動をとろうと決意する。
それが、かつて昔の人々もそうしたであろう、酸味が強く渋みすらあるリンゴから、癒やしをもたらす極上の風味のシードルを生み出すことだった。
ジャックの人生を変えた運命のリンゴの樹は、ほどなく伐採されることになったものの、彼は、自身の拠点から半径50kmにわたる範囲に点在する古い品種のリンゴ、洋梨、マルメロ(セイヨウカリン)を探し出し、その樹が植わる地所の所有者と交渉して、これらの果実を買い入れはじめた。その多くは、栽培用に群植されているわけでなく、裏庭のような場所や通りの入り口に数本植わっているようなものばかりだった。
より原種に近い古い品種のリンゴは、実が小ぶりで、中には生食できる甘みを備えたものもあるが、強烈な酸味や、苦味、渋みなどを備えたものが多い。ジャックは、こうしたリンゴを魔法のように爽快な風味と旨味、ほのかな甘味を備えた飲み物に変えていく。
「現代の多くのリンゴよりも古い品種のほうが、むしろシードルに向いている。」
そうは言っても、彼と一緒に畑に立ち、樹に残されたリンゴをひとかじりした時の味わいが、どうしてこのような心地よい味わいのシードルに進化するのかと、毎回驚かされる。
しかしこの知見は、かつてこの地に暮らした人々が、樹にたわわになる実を何とか有効活用しようと知恵を絞ったなかで生まれた文化であり、その文化の積み重ねが伝統となり広がっていったのだろう。
同様の伝統にリンゴを用いたデザートがある。ヨーロッパの様々な国や地域で焼き菓子などリンゴに火を入れたデザートのレシピがあり、この種の料理には酸味のあるリンゴが合うというのが定番となっている。これももとを辿れば、酸味が強くそのままでは食べづらかったリンゴを美味しく食べるための工夫だったように思える。
ともかく、ジャックのシードル造りには、古い品種というのが決定的に重要なポイントとなっている。
利用されず打ち捨てられていたリンゴを多くの人に喜びをもたらすシードルに昇華させ、その生産・経済活動を通じて古く貴重な品種を守っていくことが、植物・生物学者から転身したジャック ペリタズが、その人生を捧げる愛すべき仕事となっている。
そして、実際のシードル造りにおいても、それらの品種の純粋性をストレートに表現するために、技巧的な手法は用いず、自然派ワイン造りに通底するシンプルでナチュラルな醸造法を採用している。
品種や果実の種別によって、8月後半から遅い場合は12月にまで及ぶ間、リンゴであれば枝から自然と落ちるほどに木成りの状態で完熟した果実を選別し収穫する。もちろん一本の樹になっているリンゴすべてが同時に完熟するわけでなく、収穫期の間に同じ樹を何度も収穫することもある。
醸造所に運ばれた果実は圧搾されジュースとなり、スティールタンクに移される。このまま自然酵母の力によって発酵が始まるのを待ち、ある程度発酵が進んだ段階で、発酵を弱め、いくらかの糖分をシードルに残すために軽く濾過(ろか)を行い瓶詰めされる(状況に応じて少量の亜硫酸塩添加)。さらに瓶内で二次発酵が始まるのを待ち、細やかな泡立ちと爽快な風味を備えたシードルとなり完成する。
ジャック ペリタズの魔法は、醸造の各プロセスにおいて酵母の働きを的確に緩めたり、促したりすることで、ナチュラルでピュアな味わいを保ちながら、抜群の安定感を失わないところにある。
再び命を吹き込まれた運命の樹と楽園のはじまり
2018年、古い品種を守り、生物多様性を育みたいというジャック ペリタズの想いが、大きく花を咲かせた。
彼の人生を変えた一本のリンゴの樹。その運命の樹は伐採され、彼が出会ったその場所ではもはや生きていない。しかしジャックは、その運命の樹から枝を取り、この地域の古き良き美しさを残した小さな村を臨む丘に、台木を植え、接ぎ木し、200本もの新たな樹として再び命を吹き込んだ。
この楽園のような果樹園には、この他にも様々な品種の樹が植樹され育てられていて、もちろん全てが、現代では貴重となった品種ばかり。収穫を終えた果樹園を歩きながら、樹に残されたリンゴをかじり、それぞれの甘さ、ほろ苦さ、渋さ、酸味、香りの多様さに驚かされる。
この丘を歩くジャックは本当に幸せそうに見える。
「いつかこの果樹園の近くに醸造所を建てて、そこに住みたいと思うんだ。こんなに大好きなのに、収穫の時期は醸造が忙しすぎて自分でこの果樹園に来ることができない。本当にこの場所が好きだから、こうしてこの場所に来れるのが幸せなんだ。」
植樹からおよそ8年が経過した2018年、ジャックは、この果樹園のリンゴだけを使ったシードルをはじめて仕込んだ。
「本当は接ぎ木でなく挿し木で育てたかったんだけど、そうすると実がなるのに25年もかかってしまうからね。僕はもう歳だし。」
と笑うジャックだが、とはいえども長い時間を費やし、リスクを背負い、忍耐を重ねた結果が実った2018年は、ジャック ペリタズにとっての輝かしい人生の第2章のはじまりと言える。
失われかけた運命の樹から枝をとり、こうして次世代にその生命を繋いでいくという、彼がまさに取り組みたかったであろう仕事が、1本のシードルとなって世界中の人々に喜びと癒やしを与えてくれることを想うと、胸が熱くなる。
シードルリー デュ ヴュルカンのヴュルカンとは、北アフリカからヨーロッパへと渡りを行うヨーロッパアカタテハという鮮やかな蝶のこと。収穫期にはこの蝶が、果樹園を無数に舞うことから名付けられた。
小さな体で長い旅に出るこの蝶のように、ジャック ペリタズの想いを携えたシードルたちが、遠く離れた僕たちのもとへも癒やしと幸せをもたらしてくれるのだろう。
Jean Dreyfuss – Domaine Fischbach
Cidre Transparente / シードル トランスパラント
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ(トランスパラント、レネット ドゥ シャンパーニュ、ポム レザン)
トランスパラントは「透明」という意味で、このシードルに用いられているリンゴ品種から名付けられました。その名前から想起される通り、ピュアさと爽快感があるのが特徴で、シードルリー デュ ヴュルカンのラインナップのなかでもスタンダードとして人気の高い1本です。
2018年は他のラインナップと同様に、例年よりもドライな仕上がりになっていて、セックの区分(表示アルコール度数5%)となっています。一口目の口当たりと余韻にほのかに優しい甘さを感じる程度で、飲み口はシャープで、リンゴの果肉の部分だけでなく果皮や種の風味をクリアに感じさせてくれます。
アペリティフ(食前酒)としても良いですが、透明感と柔らかな果実味が調和するこのシードルは、柑橘を使ったサラダやジャガイモ料理、フレッシュなハードタイプのチーズなどと抜群の相性です。
Cidre de Fer / シードル ドゥ フェール
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ(ポム ドゥ フェール)
フェールは「鉄」という意味で、このシードルに用いられているリンゴ品種から名付けられました。このリンゴ品種の起源は19世紀ごろのドイツにあり、もともとボンアップフェルと呼ばれていたリンゴです。このリンゴは強い酸味と若干のタンニン(渋み)で知られていたリンゴだっといいます。
この個性的なリンゴで造られたシードルは、名前から想起される通りの硬質でシャープな飲み口が特徴です。例年は、リリース直後からしばらくの期間、還元香(硫黄のような香り)を感じることが多いのですが、エクストラ セックの区分(表示アルコール度数6.5%)まで発酵が進んだ2018年は、全く還元香はなく、張り詰めた高いテンションのミネラル感と心地よい酸味があり、完全にドライな飲み心地ながら、リンゴらしい果実の旨味を余韻に感じます。
シードルと聞いて想像するものよりもかなりドライな味わいかつ強いミネラル感なので、上質のスパークリングワインと並べて評価すべき果実酒です。
Cidre Raw Boskoop / シードル ロー ボスコープ
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ(ベレ ドゥ ボスコープ)
1856年のオランダに起源を持つベレ ドゥ ボスコープ(別名:レネット ドゥ モンフォール)という品種を用いたシードルで、品種名と何と!「ロボコップ」との語呂合わせで名付けられました。このリンゴは非常に酸度が高く、他の品種と比較しても何倍ものビタミンCを持っているのが特徴です。
2018年は他のラインナップと同様に、例年よりもドライな仕上がりになっていて、エクストラ セックの区分(表示アルコール度数6%)となっています。ただ、味わいのドライさに対して、香りにはリンゴをすりおろした時の香ばしいニュアンスや甘い雰囲気があり、全体のバランスとしては果実の優しい旨味が感じられます。
このシードルで用いられたリンゴは、ジャック ペリタズが拠点をかまえるフリブール周辺でなく、スイス東部トゥールガウ(トゥルゴヴィ)州のエグナッハという町の農家から買い付けています。当然ながら栽培はビオロジックで、高い仕立ての樹齢も高いリンゴ樹から収穫しています。
このリンゴ栽培農家との関係は非常に良好だと言い、自分たちのリンゴがシードルとなって世界中を旅しているのを誇らしく思うと自分たちのwebページに記載しているのだとか。
Cidre Trois Pépins / シードル トロワ ペパン
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ、洋梨、マルメロ(セイヨウカリン)
トロワ ペパンは「3つの種」という意味で、その名の通りリンゴ、洋梨、マルメロ(セイヨウカリン)の3種類の果実から造られた発泡性の果実酒(シードル?)です。もともとは、非常にタンニン分が強く苦味のあるリンゴと甘みだけが突出していた洋梨と強烈な酸味のマルメロ(セイヨウカリン)を別々に仕込むのではなく、お互いの短所を補い合えるかと考え、あわせて醸造したのがきっかけです。
2018年は他のラインナップと同様に、例年よりもドライな仕上がりになっていて、エクストラ セックの区分(表示アルコール度数6%)となっています。洋梨の甘みは、しっかりと発酵が進んで細やかな泡立ちとなり、マルメロ(セイヨウカリン)の繊細な酸味とほんのりと感じる苦味が、ミルキーでまろやかなリンゴの果実味をすっと引き締めてくれます。気品ある清楚でしなやかな味わいのバランスで、上質なノンドサージュのシャンパーニュからアペリティフの座を奪うことができると感じるほどの高貴な風情をまとっています。
Cidre Premiers Emois / シードル プルミエ ゼモワ
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ(ボンアップフェル、ポム レザン、ベレ ドゥ ボスコープ、エンギスホーファー)
プルミエ ゼモワは「最初の感情たち」という意味で、シードルリー デュ ヴュルカンのフラグシップとなるシードルの一つです。初恋に通じるようなはじめての感情、それはジャックが、古い品種のリンゴの樹と出会い、それを守っていきたいと思った想いであり、それがすべてのはじまりでした。その想いを忘れることなく、シードル造りに打ち込み、その結果として生まれた表現豊かな最高品質のシードルを初心を大切にしたいということとも重ねて名付けられました。
2018年は他のラインナップと同様に、例年よりも甘みが控えめな仕上がりになっていて、ドゥミ セックの区分(表示アルコール度数4.5%)となっています。全ラインナップのなかでは甘さを感じられるタイプですが、それでも例年のトランスパラントなどと同程度で、甘すぎるということはありません。
グラスに注ぐと細やかな泡が立ち、花や蜜、様々な果実の華やかでチャーミングな香りが立ち昇ります。口に含むとほどよい酸味と甘さがバランス良く調和し、白い花や蜜、リンゴ、ハーブなど様々な風味が広がります。本当に可愛らしい風味で、さながら天使のような、もしくは少女のような、天真爛漫でキラキラ輝いたイメージの味わいとなっています。
同じくフラグシップのシードル「ブリュット ドゥ リュ」とは良い意味で対象的な味わいで、さながら「美女と野獣」のような印象です。
Cidre Brute de Rue / シードル ブリュット ドゥ リュ
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ(ジャックが植樹した50種以上の様々な品種)
シードルリー デュ ヴュルカンの第2章、ジャック ペリタズ自身が植樹した果樹園から生まれる、宝石のような誰も経験したことのない至高のシードル。ジャックが植樹した50種以上の様々な品種のリンゴを用いて造られた「ひとつの小さな村」のようなシードル。このシードルには、多様性を大切にしたいというジャックの想いが込められていて、それは僕たち人間も同じだよね?という彼からのメッセージのようにも感じられます。
2018年が初ヴィンテージとなるブリュット ドゥ リュは、「リュ村の獣(けもの)」という意味で、ドライな味わいであるBrut(ブリュット)と獣(けもの)というBrute(ブリュット)をかけて名付けられています。その名前の通り、2018年の全ラインナップのなかでも最もドライな仕上がりになっており、シードルというよりもむしろクラフトビールのようなイメージです。これは、主に使用されているリンゴが強い酸味や苦味を備えたものであることと、自然酵母が元気であったのか発酵がものすごく順調に進んだことにあると言います。最終的な表示アルコール度数は8.5%で、ますます高アルコールのクラフトビールとクロスオーバーします。
可愛らしいイメージの多いシードルにあって、(ネガティブではない)ワイルドな風味であることから「リュ村の獣(けもの)」と名付けられたと想起されますが、既存のシードルの概念を覆す味わいであることは間違いありません。味わいの構成は非常に複雑で、渋み、酸味、苦味、そして実は、糖度の高いリンゴ品種も用いられているため果実味もしっかりと感じられます。
同じくフラグシップのシードル「プルミエ ゼモワ」とは良い意味で対象的な味わいで、さながら「美女と野獣」のような印象です。
Cidre Rose de Torny / シードル ローズ ドゥ トルニー
ヴィンテージ:2018
タイプ:泡
産地:スイス
品種:リンゴ(トルニー村に植わっていた名称不明の品種)
シードルリー デュ ヴュルカンの第2章、ジャック ペリタズ自身が植樹した果樹園から生まれる、宝石のような、誰も経験したことのない至高のシードル。なかでもこのローズ ドゥ トルニーは、ジャックの人生そのものが詰められた特別な1本です。
ジャック ペリタズが、シードル造りに挑戦するきっかけとなった1本のリンゴの樹。当時、村の人々もそのリンゴをどう使えばいいか、誰も知らなかったという忘れ去られた品種。時間の経過とともに、こうした貴重な生物資源が失われていくこと、生物の多様性が失われていくことに危機感を感じたジャックが、植物・生物学者を辞め、シードル造りに挑戦します。このシードルは、その運命の樹から枝を取り、接ぎ木をして増やしたリンゴの樹から収穫されたリンゴを主に用いて造られたシードルです。
2018年が初ヴィンテージとなる ローズ ドゥ トルニーは、「トルニー村の薔薇(バラ)」という意味で、、元々トルニー村に植わっていたリンゴの樹であったこと、名前も忘れさられた品種であったこと、そのリンゴからは薔薇(バラ)やレモンの風味を感じることから名付けられました。
2018年は、甘さを表す区分はセック(表示アルコール度数5.8%)でややドライな仕上がり、同じフラグシップのなかでも、野性的なブリュット ドゥ リュや柔らかくチャーミングなプルミエ ゼモワとも違った、しなやかで繊細な風味が特徴です。ジャック自らローズと名付けただけあって、薔薇(バラ)やレモンなどの柑橘のフレーバーがあり、心地よい酸味とミネラル感が楽しめます。繊細ながらも味わいは非常に複雑で、余韻も長く、果実、柑橘、ハーブ、風、鉱物、土など非常に複雑で多様性に満ちた風味が感じられます。
世の中に美味しい飲み物というのは無数にあるのですが、さらにその先を行く心動かされるものというのは、必ず造り手の並々ならない努力と強い想いが込められています。このローズ ドゥ トルニーは、そんな稀有な例のひとつであると確信しています。